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2009年2月 1日

1世紀分の思ひ出

わたしは母方の祖父母と同居していて、子どもの頃は祖父母に世話をしてもらってた。
保育園のお迎えとか小学校の授業参観も、ほぼ毎回祖母。
祖母は潔癖症もあって、とても厳しかった。
母が4人姉妹だったこともあってか、わたしは5人目の娘みたいな感じの接し方。
わたしの兄は待望の息子という感じで、それはそれは甘やかされていた。
祖父母は孫を甘やかすものだけど、わたしに限って言うと、そんなことはまるでなかった。
わたしは祖母から多くのことを学んだと思うし(反面教師的なものも含めて)、
わたしが家の前で飛び出し交通事故に遭ったときのことを思い出しても、
愛情は十分に注いでもらっていたと思う。
ここ数年は、祖母は寝たきりになって母が世話をしていた。
認知症もすすんでいて、わたしを見ても、もう誰なのかすら分からなかった。
でも、きょーへーや花のことはかわいいと思っていた様子だった。

祖母が入院したのは、8日前。
数日、施設でお世話になって(母もたまには息抜きが必要)、帰って来た
翌日に、どうも呼吸が苦しそうなので、かかりつけの医者に往診してもらった。
そしたら「入院されませんか?」と勧められたので、救急車を呼んで、
近隣の公立病院に入院した。心不全を起こしていた。
その翌日には担当医師から個室に移るように勧められた。
2日前の様子では、父の問いかけにも目を開けて応えていたようだった。

その祖母が昨日、永眠しました。享年100才。

なぜか「おばあちゃんは不死身なんじゃないか?」と、じぶんでも不思議なんだけど、
そんな風に思っていたような気がする。
実際、いままでも何度か、もうダメかも?と言われたあとで復活していたし。
だからまだ、祖母の死を受け入れられない。
夫は、わたしとの結婚式の時に「えりこをお願いしますね」と言われたことを
心に深く刻んでいて、先日、入院したと聞いたときから、毎日そのことを思い出しては
祖母の話をしていた。

わたしは孫だし、ずっと一緒に住んでいたし、小さい頃の祖母との思い出は、
両親との思い出よりずっと数多くある。
じぶんのまわりの同年代のこどもが、親とばかり一緒にいることがとても不思議だった時期もある。
ひょっとしたら母より祖母のほうが肉親としては身近な存在だったかもしれない。
夫は、年に1度会うか会わないかの存在だったけど、わたしの育ての親として接していたのかもしれない。

やっぱりおばあちゃんは不死身じゃなかったんだ。
と、当たり前のことなのに、だんだん祖母の死を受け入れようとしているじぶん。

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このページは、erikoが2009年2月 1日 21:28に書いたブログ記事です。

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